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北の風景   

飢餓海峡の街を見下ろす。

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観光客が向かう「神仙沼」とは反対側。
売店やトイレ横の道をわずか200mほど進むと「ここ」へ出る。
あまり、人は来ない。
「神仙沼」へ来るとここから「岩内の町」を見下ろすのが習慣となっている。
この「ダケカンバ」の木が燃え盛る炎を思わせる。

飢餓海峡の街を見下ろす。_b0076972_924840.jpg


村上勉の「飢餓海峡」では、岩幌大火(実際は岩内大火)は次のように書かれている。
「…昭和二十二年。津軽海峡の海上で、あっというまに多数の人命を呑みこんだ層雲丸沈没(実際は洞爺丸)の大事故を起した十号台風は、九月二十日の朝、函館から約百二十キロほどしかはなれていないこの岩幌の町で、ボヤですんだはずの小さな火事から、全町三分の二までが焼失するという悲惨な大火事を惹き起している。…… もっとも、この新聞記事も、全国紙ではほんのわずか三面の下の隅の方に二段組で報じられたにすぎなかった。…… 質屋を営む佐々田伝助という家の台所から出ている。九月二十日午前八時十分のことである。まだ道南には、その時刻は強風注意報は出ていなかった。しかし、すでに、風は嵐の前兆をみせていて裏日本の海もかなり荒れていた。
佐々田質店から火を噴いたボヤは、付近の建てこんだ家々に延焼した。…」。
 佐々田質店に押し入った男たちは家族を殺害後、朝8時ごろに店に火をつけて逃げます。

実際の岩内大火は昭和29年26日20時15分ころ、台風15号(洞爺丸台風)が北海道渡島半島(寿都と長万部を結ぶ線以南の地域)沖合、わずか100Km余りのところにさしかかった時に発生している。
台風15号(洞爺丸台風)の接近で避難し留守宅となったアパートの火鉢から出火。
町の80%が焼失し死者33人,負傷者551人。焼損3,299棟の大火だったのを知る人は今は少ない。



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by gandeji2 | 2010-10-14 09:09 | ニセコ